清涼寺(嵯峨釈迦堂) せいりょうじ
源氏物語の主人公で光源氏のモデルといわれる源融の山荘があった場所で、融の没後に棲霞寺としたのが始まりです。本尊の釈迦如来立像(国宝)は栄から持ち込まれたもので、嵯峨釈迦堂ともいわれます。
本堂は1701年(元禄14年)に五代将軍徳川綱吉の母・桂昌院らが再建したものです。 本堂に安置されている釈迦如来立像は、釈迦37歳の生き姿を刻んだもので、胎内からは絹製の五臓六腑が発見されました。 法然上人は人々を救済するため新しい仏教を開こうと、この像の前に7日間こもったそうです。 多宝塔の裏には嵯峨天皇とその皇子である源融の墓や開山の「然上人の墓があります。
![]() 仁王門 |
![]() 本堂 |
![]() 法然上人像 |
![]() 多宝塔 |
![]() 源融の墓 |
本堂裏にはや放生池と弁天堂、枯山水庭園などがあります。阿弥陀堂はここにあった棲霞寺の本堂だそうです。 阿弥陀三尊像(国宝)は源融の死後、冥福を祈るためにつくられたと言われ、霊宝館に安置されています。 清涼寺の境内には梅や桜が咲きます。
![]() 弁天堂 |
![]() 阿弥陀堂と軒端ノ梅 |
![]() 仁王門と枝垂桜 |
![]() 本堂と紅葉 |
京都の寺社 | |